洗面器の水も凍った冬の実力

今年3月、四国・石鎚山山中にて

昨晩、帰路に「古本まつり」に立ち寄ったところ、井伏鱒二著の「厄除け詩集」を見つけました。
なんだか厄払いでもしたいなあ、と思っていたところなので、井伏さんらしい愛嬌ある書名に思わず笑い、購入しました。

帰って寝床のなかでこの本をめくりながら、
あたたかいふとんのなかで横になって本を読むことができる幸せを感じました。
以下、2編を引用し、ふとんのなかで触発された部分を勝手に茶色くマークしました。

寒夜母を思ふ


今日ふるさとの母者から
ちよつといいものを送つて来た
百両のカハセを送つて来た
ひといきつけるといふものだらう

ところが母者は手紙で申さるる
お前このごろ横着に候
これをしみじみ御覧ありたしと
私の六つのときの写真を送って来た

私は四十すぎたおやぢである
古ぼけた写真に用はない
私は夜ふけて原稿かくのが商売だ
写真などよりドテラがいい

私は着たきりの着たきり雀
襟垢は首にひんやりとする
それで机の前に坐るにも
かうして前こごみに坐ります

今宵は零下何度の寒さだらう
ペンのインクも凍りついた
鼻水ばかり流れ出る
それでも詩を書く痩せ我慢

母者は手紙で申さるる
お前の痩せ我慢は無駄ごとだ
小説など何の益にか相成るや
田舎に帰れよと申さるる

母者は性来ぐちつぽい
私を横着者だと申さるる
私に山をば愛せと申さるる
土地をば愛せと申さるる
祖先を崇めよと申さるる

母者は性来しわんばう
私に積立貯金せよと申さるる
お祖師様を拝めと申さるる
悲しきかなや母者びと




三日不言詩口含荊棘
昔の人が云うことに
詩を書けば風邪を引かぬ

南無帰命頂礼
詩を書けば風邪を引かぬ
僕はそれを妄信したい

洒落た詩でなくても結構だらう
書いては消し書いては消し
消したきりでもいいだらう
屑籠に棄ててもいいだらう
どうせ棄てるもおまじなひだ

僕は老来いくつ詩を書いたことか
風邪で寝た数の方が多い筈だ

今年の寒さは格別だ
寒さが実力を持つてゐる

僕は風邪を引きたくない
おまじなひには詩を書くことだ


小さな頃は、いまのように蛇口をひねればお湯が出るなんてあり得ませんでした!
すごーく寒い朝だけ、オヤジの権限で洗面器の水に薬缶で沸かしたお湯を入れてくれました。
洗面器には、朝、氷が張っているんです。
わずか40年前は東京でもほんとうに冬は寒かった。

引用した詩では、ぞくぞくと、しんしんと冬の夜の寒さが足元や背中から自分を包み込んでくるのが伝わってくるようではないですか。
あの頃、こうして冬の寒さをただただ忍んで、あたたかい春の陽光を待ち望んだものです。

こっちもだんだん油が抜けて冬がつらくなるようになってきました。
それでも、できれば「しんどくて気が滅入るような」さむーいキャンプにお誘いしたいですね。

ホントに日本は(日常生活は)恵まれていると思えるようになりますよ!
それなのに「なにかが満ち足りていない」原因に気づくためには、不便でしんどい体験をするのがいちばんです。

ちなみに、ウチではいまも毎冬、「室内で」零下1度くらいまでには下がります。イェイ!
遊びにきてください。寝袋もって。